全ては、ただ淡々と起きていること。。。

起きていることに、意味はないし、目的も無い。

勿論、分離も無いし、どこかに向かえる次の瞬間も、向かえる場所さえもない。

真の自由さえ、人間が作り出したアイディア。それさえも、実際は存在しない。

なぜなら、真の自由を必要とする者がもともと存在しないから。。

ただ、一つだけおき得る真の思いやり、優しさがるとしたら、優しい言葉をかけることでも、

相手の気持ちをよくする為に何かをすることでもない。その場しのぎのことではない。

あるがままを指し示し、夢自体を壊すこと以外はきっとない。

それさえ、ただ起きていること。

そして、なにも起きていない永遠が常に存在する。。。

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8 thoughts on “全ては、ただ淡々と起きていること。。。

  1. way35

    こんにちは。
    菜穂さんは、いまでも食事はマクロビですか?
    添加物無添加だとか、自然食品にこだわった方がいいのか、こだわらなくても起きることが起きるので意味ないのかわからなくなりました。

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  2. とも

    菜穂さん

    こんにちは☆

    素晴らしいですね。
    本当にそうだと思います。
    本当の優しさは、夢を壊してあげることですね。
    私もだいぶ夢(幻想)を見て、振り回されてきました。
    もう気休めの優しいその場しのぎの言葉は要りません。

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  3. yukio

    こんにちは。初めてコメントします。
    菜穂さんが示すあるがままは、虚無的で無機的に感じます。
    すべてが愛の中にある、という愛は虚無的で無機的なのでしょうか?
    あるがまま、それをライフと呼ぶのかもしれませんが、
    それは、なぜ存在しているのでしょうか。
    ご本を読んでいると、虚無感のような感覚と温もりのような感覚が交錯します。

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  4. よしべい

    先日は明快なコメントをありがとう御座いました♥♥♥

    我々意識は、その“与えられた”ゆえに、キャパシティゆえに、ここから抜け出せない“奴隷”では?という観点からお聞きしたく思います。

    単行本、時間をかけて味わいました。とても同認識っぽいですし、菜穂さんの幼少期の意識の仕方が共感できました。とても良い書物をありがとうごさいました。美味です。

    私はのこの使っている機能は、明快で短文のコメントが出来ないようでして、お忙しい中、気が向くことが起こりましたら、↓感想をお願いしたいです。

    では口調が変わります。

    そもそも自由な?意志など無い。何らかの特性や習性を持ち、その時利用している独自の知識を基準として、内外に知覚した情報を独自のやり方プログラムで処理し、認識する。

    💙しかし、その仕組みを知り得て、それらを、それらを観て取れる視点や立ち位置にいつでも意識を置くことが出来、

    知覚した物事を情報処理する前の地点に、この一つの、一人の、背後から、内奥からもたらされるようなエナジーが留まれるならば、

    それは、自由意志と呼んでもいいのでは?

    どのみち「意志」というのは、先に“内・外や対象・他などを、→このように意識している“というものがなければ、派生せず、

    その独自の形容・設定・条件付けられたそのとある意識が、その視点・立ち位置ゆえに、使用する感性で、→気づいたものや、気づけるものごとに←気づきや反応が起こって、そして→発したエナジーであるから、

    ようは、その意識の流れがその過程で、自らの仕組みを知り、自らの取り扱い説明書を熟読し、熟知すれば、(そのようなことが、ストーリーが起これば)そして、それ以前の自分の意識の習性に捕らわれない仕組みが出来れば、ストーリーが起これば(T_T)、 

    その凝縮した意識のエナジーが使うものごとを認識する基準は(無くならないが、)無限多様となり、

    そこから、そういう意識の仕方をするところから、→派生する意志も、確かにその無限多様とはいえ、その型は所詮は、無限的な多様性という習性の選択に従うが、完全な自由ではない。(完全な自由に意志はおろか、意識もないが)

    ですから、意志、自由意志というのは、有限、無限大の現象世界でしか、ストーリーの世界でしか、あらゆる世界観の中でしか当てはまらない概念・“起こり/現象”ですから、

    これらの世界観の中で、自分と言うものに、システムや構造に自覚があり、真眼や魂を構築し(ダルマに目を入れる)たら、そのようなことが起きたなら、ストーリーが見れれば、

    そのた大勢の無意識の意識と意志たちと、その自由のいかんは、異なるのではないでょうか?

    意志はストーリーの中でしか無いのですから、このような“起こり”は、♥自由な意志と言えないでしょうか?(ToT)

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  5. 佐藤

    よろしくお願いいたします。

    なにも起きていない永遠が常に存在する。。。

    ライフ、存在に響いてくるようです。

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  6. まりあ

    そして、何も起きていない永遠が常に存在する 。。。。。

    この最後の一行が、 とてもショックでした。
    でも、 この” 何も起きていない永遠” は
    私の中にも存在しているように思いました。
    もしかして、 それは神 (神と呼ばれているもの) ですか?

    実は、菜穂さんの本を昨日購入したばかりで
    まだ読んでいません。 この週末読むのを
    楽しみにしています。

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  7. けい

    ノンデュアリティって、所詮頭で考えても理解できないし、そもそも理解できる個人など存在しないという。
    だったら必要なんいじゃないんですか?
    仮に知ったとしても、虚無感、無気力感しか得られないような気がする。
    自分にはついていけないわ。

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